靖国神社ツアーを経て2005年11月29日土曜日。大学院で日本近現代史を専攻する友人(ガイド役)ともう一人の友人と、3人で靖国神社を見学。朝10時に九段下2番出口に集まり、九段会館を遠目に眺め、午前中は靖国境内を回り、昼食を挟んで午後靖国神社の展示館、「遊就館」へ。閉館の5時まで、館内の上映映画「私たちは忘れない」と、展示物を眺める。友人の説明を聞く。いっぱいいっぱいになった心で退館し、酒を飲む。泥酔。
私の知らなかった事実3点
1:何が祀られていて何が祀られていないのかな?と思っていた。答えは。
靖国神社に祀られている神様は「英霊」。「英霊」は、安政の大獄以降、「天皇の国家のために」命を捧げた人間を指す。幕末の混乱の中で命を落とした志士達を弔ったのがはじまり。
西南戦争で日本国内の内戦は終わり、その後の世界史の中、帝国主義の進出の中で日本も他国との戦争を行う。その戦争で「(天皇に象徴される)お国のために」命を捧げた人、が英霊。 2:鎮霊社の存在 靖国神社本殿に祀られていない方々の御霊と、世界各国すべての戦死者や戦争で亡くなられた方々の霊が祀られています。(靖国神社ホームページより引用)
靖国神社でもきっと基準があいまいなのだと思うので、私なりに好意的に拡大解釈しよう。 なお、境内の片隅に、小さく小さく、ひっそりとあります。普通は気づかないようなふうに。そして、私が回ったルートでは柵越しに眺められただけで、参拝はできませんでした。
3:遊就館の存在 一つは殉国の英霊を慰霊顕彰することであり、一つは近代史の真実を明らかにすることです(遊就館パンフレットより引用)
神武天皇にはじまる天皇の歴史。日本の武の歴史を伝える古代・中世の武具。「海ゆかば」に代表される和歌。明治維新。日清、日露戦争〜第2次世界大戦までの展示の数々。 靖国神社が何であるのかを理解するために、この博物館を見るべきです。外見はただの立派な神社ですが、その寄って立つ思想を理解するために。ただ、靖国神社の思想に立つ、一面的な展示内容なので、自分の心をしっかり持って入らないと、この場所の空気に押し流されて混乱、または刷り込まれてしまうくらいの力があるように思います。私も、ガイド役の友人がいなかったら単に混乱に陥ったでしょう。根が素直なので!
私の疑問
靖国ツアーを経て、私は疑問だ。 ・なぜ個人の信条、信仰に関係なく、戦死した、というだけで、英霊として祀られなければならないのか?現にプロテスタントの信者が、自分の兄の合祀取り下げを求めたにもかかわらず、拒否されているという。韓国・台湾人であるにかかわらず、日本兵として戦死した人の中にも、祀られたくない人がいるという。それなのに。 ・満州国は王道楽土だったと、東京裁判は全面的に間違いだったと、本気で、あの館内上映映画は言っている。それがこの靖国神社の価値観。本気か?信じられない。少なくとも私とは、相容れない。 ・なぜ戦争の悲惨さを、悲しみを、展示しないのか。意図的に隠しているとしか思えない、一方的な展示内容。 ・A級戦犯はなぜ合祀されているのか?お国のために命を落としたとは、わたしは思えないのだが。 では、「お国のため」って、なんでしょうね?「国」って、なんでしょうね?簡単には答えの出ない問いですが、この土地に住んでいる一人一人、が「国」で、ひとりひとりの幸せのため、が「お国のため」というのが漠然とした、今の思いです。A級戦犯は、この国のひとりひとりの幸せ、という観点で見れば、幸せを、壊したと思うのです。だから。
最後に。私の主観
戦争は人を狂わせると私は思っている。いや、そもそも戦争をはじめるのは人であるのだから、狂った人間が戦争をはじめるのか?ともあれ、誰かが戦争をはじめ、その戦争に巻き込まれる人々は、皆狂ってゆく。戦争の中で、自分の理性、自分の、本当の考え、勘のようなもの、を維持するのはとても難しい。
館内上映映画「私たちは忘れない」の中で、生き残った日本兵であるおじいさんが、こういっていた。「みな、靖国で会おう、といって死んでいったんです。とても純粋な気持ちで」と。 人一人を殺したら、その人生を奪ったことに対して苦しむだろう。戦争で何万人も殺すことができる、狂気でなくてなんだろう。 私が靖国神社以外で触れてきた大東亜戦争の記録は、悲しみの記録だった。戦争に巻き込まれた庶民の、苦しみ、悲しみ、辛さを率直に語り、描いていた。肉声、だった。そこには戦争に勝ったも負けたもなく、正義も悪もなく、ただただ、戦争はもう嫌だといっていた。 そして、1945年8月15日、玉音放送を聞いて、戦争が終わって本当によかったと思ったと。それから今の憲法が制定されて、戦争はもう2度としないと決まった、とにかくもう戦争はないのだと、本当によかったと。 それが庶民の肉声だし、私が共感する戦争の姿だ。 それなのに、靖国神社というところは、いまだ戦争の狂気の中にいるのだ。
戦争の狂気が、こんなに堂々と、残存していることに吐き気を覚える。
(2005.11.3) (2005.11.4.追記)
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