「父親」より「傷つくこと」について

私は年頃の若い女なので、宋という男が憎たらしいです。こういう男、憎しみではきそうになるくらい嫌いです。弱い男、自分の弱さ故に人を傷つける男。
宗に裏切られた純子は 「宗さんとのこと、つらくないといえばうそになるけれど...でも今日ね、荒れ狂う海を陸中の沖で見ていたら消えるような気がしたの。これからサラッとできると思うの。」 と父親に語ったけれど、私はサラッとできません。

海を見て気持ちを静めても、新しい恋をしても、何度も何度も傷の痛みはよみがえって苦しい思いをします。私はこの本を読んで、うまく行かなかった昔の恋をまた思い出して苦しみました。 いつになったら、はずみでよみがえった記憶にこんなに苦しまないでいられるようになるのでしょうか。この記憶の上に、少しでも早く、多くの時間が過ぎ去ってくれることを望みます。

宗は傷ついたでしょうか。「人を傷つけた」という傷を、しっかりと抱えていってくれるでしょうか。

傷つくのって苦しいです。そして、私は人を傷つけないで生きていくことができません。人を傷つけて、自分も傷ついて、傷つけられて生きています。じっとして、穏やかに、ゆっくりと生きていくことができればもう少し傷をふやさないで生きて行けるのかもしれないけれど、私はそういった風な生き方で充足できるほど、人間丸くもないし悟ってもいません。

とおっても傷ついて、「これ以上傷ついたら耐えられない」と思っていたころがありました。 3年くらい前のことです。1年間くらい、守りの姿勢で生きていました。激しく人を愛さないように、何にも必死にならないように、友達に多くを求めないように、深入りしないように。 そうしてると何が起こってもあんまり傷つかないですみます。うまくいかないことも、そんなに思い入れがなければ「まあいいか」ですみます。 でも、つまんないんですよね。そうやってなんとなく生きているの。 つまらなかった。だから私は、すこしづつそのときの傷から回復して、そういった生き方から抜けだすことにしました。

遠藤周作がどこかで、本当に面白いことは楽しいことだけではやってこない、苦しいこととともにやってくるから、「面苦しい」というべきだ、なんてことを言ってたらしいですが、本当にそうですね。 本当にすばらしいことっていうのはうらに苦しみを抱えている。楽なことは楽しいかもしれないけれど、なんか薄っぺらな楽しさのような気がします。

話を戻しましょう。私は、そんな人生のすばらしさを享受したいから、そのために傷つきます。人を傷つけもします。その傷を抱えていつも苦しみながら、人生を味わいたいと思うのです。そういう意味では、宗と純子の恋を否定はできません。 だからといって、人生を味わうためだから、いくら傷ついてもいいとはいえない。そんなに傷の痛みは甘くないのです。でも、傷つかなくては人生を味わえない。 私はいつも「傷つきたくない」とか「このためなら、傷ついたっていい」とか、矛盾した気持ちを抱えながら生きています。ほんと、人生って面苦しいものです。(98.8.22)

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