新潮文庫・訳;高橋健二(1951年)
少年ハンス・ギーベンラートのお話です。
彼は小さな村の天才的少年で、一生懸命勉強して州の試験にとおり、神学校に行って勉強します。でもいろんなことが彼を損なったせいか、彼は学校を辞めて村に帰り、勉強とは無縁の生活にはいる。
という物語。
有名な作品だからと身構えて読み始めたのですが、最初の文でひきこまれました。 訳の良さもあるのでしょうね。
「仲買人、兼代理店主、ヨーゼフ・ギーベンラート氏は、同じ町の人に比べて、目立つような優れた点も変ったところも、べつに持っていなかった。」
昔話みたいな、「むかーしむかし、あるところに、」とおなじような、 どんな物語にも使えそうな書き出しで、これからなにが語られるのかとわくわくしました。
少年はあまり幸せとは言えない日々をおくります。端的に言えば、本当は魚つりや、散歩や、動物を飼うのが好きだった少年なのに、試験のために勉強だけさせられて、自分でも勉強のことしか考えられなくなって、気づかないうちに無理なほど歪んでしまったのですから。
でも、この「車輪の下」は悲しい物語ではありません。 美しさ、無邪気さ、健康な楽しみ、ひとのあたたかい感情、少年から青年への成長、そんなことが淡々と、でも時には訴えるように描写されています。 物語はかなしい出来事で終わりますが、読後感は気持ちいいのです。不思議ですね。
「車輪の下」
このタイトルは、神学校で落ちこぼれ始めたハンスに対する校長先生の警句でした。
「それじゃ結構だ。疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪のしたじきになるからね。」
この作品から学歴社会が子どもに与える悪影響や、学問以外の情操教育の重要性を読み取ったりすることもできるのでしょう。
でも私はハンスが感じたこと、
初恋のときめきや休暇中の町の美しさ。
ラテン語やギリシャ語を学んだために読めるようになったホメロスやリヴィウスのまざまざとした世界。
神学校の仲間たちとの生活、友情。
秋のりんご絞りと女性との交わり。
そういった生き生きしたものがこの本にはたっくさん詰まっているように感じるのです。 (98.2.16)
Last modified: Mon Feb 16 14:59:21 JST 1998