森瑶子「砂の家」

新潮文庫 平成3年初版

美也子は、注いだ愛情の元を取りたいと思いつづけて8年間日比大作と付き合い、その8年間かけてやっと、「あなたに望むものは何もないわ」と言えた。そして日比大作と美也子の関係は終わった。
わたしにも、「元が取れていない」と恨んでいる男性がいる。日比大作とその過去の男性が重なってたまらない。

与えられることだけを望み、もっともっとと求めてばかりで、弱いよわい、男性だった。私は、愛情を注ぐ対象を求めていて、注ぎたい、という欲求を満たしたくていた。彼に必要とされていることが幸せだと感じている時間もあった。
でも、長くは続かなかった。
彼が私にくれた「みかえり」はあまりにも少なかった。私は、こうやって彼に愛情を与えつづければ、いつか満ちるときがきて、彼が変わるだろうと期待していた。そして彼が満ちた後には、私に「みかえり」があるだろうと。
でも、私は1年で飽きた。美也子と違い20歳そこそこの、若い女性だったからでもある。そして、その飽きかけたときに別の男性のアプローチを受けて、そう、私は喜んで乗り換えたのだ。まるで彼との別れを悲しむようなそぶりをしながらも。

私は彼のことを、2度と顔も見たくないと思っている。強く強く、憎んでいる。あの甘えん坊の、弱いよわい、あの人を思うだけで吐き気がする。私の愛情を吸い取って吸い取って、私に何も返さなかったあの人を、私は、恨んでいる。

恨んでいるから、彼の結婚を祝福していない。そして、彼の結婚相手までを恨んでいる。彼の結婚相手は、私のできなかったことを実現できているのだろうか。 もしかして私が受けるべきだった「みかえり」を彼女が受けているのではないか、とすらさえ。
古い友人の結婚式で、共通の友人に会い私は、「彼のところにはもう子供もいるのかしら?」と問いかけた。「いないって。彼女のほうが子供好きじゃないんだってよ」との答えを聞いて私は、安堵、した。
子供がいる、と言うことが満たされていることの象徴のように思ったから。子供がいない、と言うことは、満たされていないのかもしれない。いや、きっと満たされていないのだろうと期待する。そして、自分の家庭とひきくらべて、夫婦愛し合い支えあい、娘が一人いて、満たされた幸せな家庭を持っている自分と比べて、私が、勝った、と思った。

私の、なんて醜い感情。

私が、彼を強く恨んでいるうちは、あのころに注いだ愛情の回収を、望んでいるのだろう。あきらめきれずにいるのだろう。あきらめることができたら、私も美也子のように、穏やかに、「あなたに望むものは何もないわ」といえるだろうに。
彼と別れてから、8年以上が経った。美也子が日比大作に費やした8年と重なる。
私ももう、あきらめることができるだろうか。人を恨む、という強い感情を持っていることにも、もう疲れた。
(2005.7.31)


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