「醜悪な自分」をこの「スキャンダル」のなかで遠藤周作は見つめている。 罪は、弱いが故に犯してしまうものかもしれない。でも、本当に人間には、「罪」なんてきれいなものではなく、どうしようもなく汚い部分、「悪」が存在するのだと思い知らされた。
頭では分かるかもしれない。そういった、どうしようもない醜さ。でもわたしには、その醜さを正面から見据えることはできない。
私は、自分の醜さ、愚かさにむしろ目を背けようとする人間です。
「悪」。そう、例えば、
嫉妬をしますか?自分より優れた人間、恵まれている人間を妬みますか?引き摺り下ろしてやりたいと思うほど。あたしはそんな部分、あります。
ああ、私がこの場で語れる悪なんて、この程度のものです。 私の中にもっと汚い部分あるけど、 でもだめです。文章にするなんてとてもできない。口にすら出せない。誰にも見せない日記にすら、きっと書けない。
いや、もう、かなり「弱め」。だから本気で自己分析なんてやったら死にたくなるに違いないと思っているのです。
ただ、そんな醜さはともかく。
私は、 自分で自分のことを愛してやれる人間でありたい。本当の自分を見つめて、それが吐き気のするような醜い姿であっても、それを許してやれるくらい優しくありたい。
自分にすら優しくできない人間が、人に優しくできるわけはないのです。 これは高校の先生(明さんという。お元気でしょうね。)が最初に教えてくれたこと。本当にそう思っています。
結論としては、強く、優しくなりたい、ってことになってしまいました。かなり「逃げ」が感じられますね。我ながら。(97.10.30)
目次へ Last modified: Thu Oct 30 16:18:33 JST 1997