先月の「ダ・ヴィンチ」の百人書評にこれが取り上げられていて、興味を持ったから読んだのだけど。感想、言葉にできないんだよなあ。2回じっくり読んでも、まだ。ただ、いま、この1997年にはこんなお話はできないだろう、と思う。みんなこんなユミみたいに、純粋にお金の力を信じられない。そんな力の無い物だってこと、知ってる。だから「いくらでも働くんだ」なんていえない。ユミにはワニがいた。私には、何がいるだろう。ユミはワニを失った。私は、失うべき何を、持っているだろう。何もない気がして、恐い。岡崎京子(作者)はこのお話を;「普通に」壊れてしまった女のこの”愛”と”資本主義”をめぐる冒険と日常のお話です。といっている。壊れている。この女の子が壊れているなら、そう、みんな壊れているんでしょうね。だからこそ「普通に」。壊れて、壊れながら時を過ごし、そして今生きているから、だからいまでも、この「pink」が読める。過去の空気を確かめるように、今のルーツを探るように。
援助交際が話題になり始めたとき、資本主義の弊害、といわれた。資本を使ってお金を生み出す。そう、若いからだが資本になった。資本を持っているのに、お金にしないなんてもったいない。資本主義から見れば当然の考え方。使えるものは使う。最近はそんな資本価値も下がってきてしまって、価値が高いのは中学生、小学生の女の子らしいですね。私、22歳の大学生としてはさみしい限りです。 まあとにかく、そうやって手に入れたお金だけど、お金があればなんでもできる、なんて誰も思ってないと思う。ただ、べんり。当面の満足はできる。それだけだけど、それしかできないから、お金がほしい。お金があってもできないこと、いっぱいあるのは知ってるけど、でもそれをするのって大変だよね。なにかいてるんだろう、よくわかんなくなってきちゃった。
話を変えて、しあわせについて。「しあわせを恐れるものはしあわせになれない」ユミは「しあわせなんて当然じゃん」っていう。そうね、しあわせを恐れる人は、恐くなって自分からそれを手放してしまうものね。とうぜんのように、しあわせにひたれたら、いいな。毎日毎日、ことさら意識するわけでもなくって、しあわせの中で生きていけたら、いいな。