わたくしのうつ病とは違う病気だった体験記(その5)
その1は:わたくしのうつ病体験記
その2は:わたくしのうつ病体験記(その2)
その3は:わたくしのうつ病体験記(その3)
その4は:わたくしのうつ病体験記(その4)
入院をした。2006年10月と11月の約2ヶ月間。精神科閉鎖病棟に。
2006年の初夏から、自傷行為が始まった。ナイフや包丁で、左腕の内側をすうっと、切る。
血がにじむ。とても、気持ちが「すっきり」するのだ。
自分で感情を制御できなくなった。どこかからの帰り道、同居人とふたり家まで歩きながら、
何かのはずみで「もう帰りたくない!」と怒鳴って座り込んだ。
どうにもこうにも動かないわたしを、「落ち着いたら帰っておいで」と先に帰った彼は、
そのあとわたしを探し回ることになる。
だってわたしは、青春18切符を買って旅に出てしまったのだ。旅支度も、行くあてもなく。
肌着や洗面用具はコンビニで買える。お金も銀行に行けばある。問題は薬。2日分しか持ち歩いていないわたしは、
どうゆう具合か毎夜悪夢にうなされることになった。
開放感でいっぱいで、学生時代に戻ったような素敵な旅だったのに。5泊6日、東北方面を旅して戻った。
9月。自宅で同居人に向かって怒鳴った。理由は覚えていない。きっとたいしたことではなかったのだろう、
そして彼は耐えかねて「そこまでいうか!!」と、わたしを殴り、うずくまって身を護るわたしをさらに殴り、蹴った。
感情の爆発。爆発がおさまって「ごめん」という彼に黙りながら、「もうだめだ」と私は感じた。
そしてそのあと彼が出かけた隙に、死のうとしたのだ。
長期の通院で溜まっていった睡眠薬。頓服に、と処方されて飲まずにいたユーロジンとレンドルミン。
「どんぶりいっぱいくらい飲まないと死ねないよ」と聞いてはいた。そして「アルコールと併用すると効果があがるけどね」とも。
小鉢一杯分くらいはあった。だから、お酒を飲みながら、つまみのように薬を飲み下していった。
気持ちがぼんやりしてくる。ああ、このまま飲みきろうと。そして、早く発見されてしまっては胃洗浄されて死ねないから、
ぼんやりしたまま近所のホテルに出かけて眠ろうと、思う。
ただ。このまま死ぬなら、最後にお母さんの声が聞きたいと思う。電話をした。
母は、冷静に私の話をきいて、そして、「吐きなさい」といった。無条件に母の言葉に従って、吐いた。
「吐いたよ」といって、眠った。4時間くらいで起きてしまったのだ。吐いてしまったからだろう、全部吐いてしまったのだろう、
ちっとも効かなかった。
そして今度は手首を切った。ちっとも、切れない。すぐ血が止まってしまう。これじゃあだめだ。
バイクに乗ることにした。裸眼、0.02の視力で乗って、思いっきり電信柱にでも衝突しようと思った。
ところが、街中の交通量の多い道路ではそれは叶わなかった。渋滞に巻き込まれてのろのろと進むだけだ。
意識はどこかぼんやりしたままで、何度も転んだ。腕や膝をすりむいてたくさんの血が出た。
「どこに行こう」と思って、浮かんだのは、何故か教会だった。2006年4月から通っている、救いを求めて通っている、教会。
転びながらたどり着いた。宣教牧師としていらしている先生の家のチャイムを鳴らす。すると教会から誰かが、「今日は映画会なんですよ、先生ならこちらですよ」といってくれる。
映画会を抜けて、牧師先生が私の話を聞く。話をしてくれる。いくつも血を流している私の手当てを誰かがしてくれる。
たくさん話して、泣いて、やっと落ち着いた私に、「ひとりでは帰れませんね」と先生がいう。「はい、夫に迎えにきてもらいます」と私。
夫と娘が迎えにきて、家に帰る。これが私の自殺未遂。かわいいものだと思う。
そして母は言うのだ。「入院しなさい」と。
そう、私の「死にたい」という気持ちはおさまらなかった。死にたくないのに、死にたかった。自分では止められなかった。
今思えば、そういう病気だったのだ。癌になりたくないのに癌に侵されるように。心臓を止めたくないのに、止まるように。
死にたくないのに、死のうとしてしまう。死にたいと考えてしまう、そういう病気。
主治医に相談する。「入院するかどうか、微妙なところですが、あなたを守ろうとするご主人の負担も相当なものですし、入院しましょう。
この病院には入院設備がないので、紹介状を書きます。」と。
紹介された病院へ行く。「死にたいんです。でも、止めてほしいんです。だから、入院させてください」と訴える。
初診の医師の対応は冷たいものだった。「入院したって、舌をかめば死ねるんですよ。死にたい、といって入院してくる、あなたみたいな患者は迷惑です。
閉鎖病棟になりますよ。鍵のかかる。相当辛い環境ですよ、『やっぱり嫌』とかいって逃げ出すんじゃないですか?死にたい、なんて治ると思わないでください」
入院させてくれないのだ。助けを求めているのに、助けてくれないのだ。ショックで、うなだれて帰った。「一応閉鎖病棟の医師の予約とっておきますから、また来て下さい。それまでに死ぬ、とか無しですよ」といわれながら。
ショックで、主治医に訴えた。「紹介状を持っていったのに、入院させてくれないんです。さんざん脅されたんです、どうすればいいのですか?」と。
主治医は、「それはおかしい。」といってくれた。「患者にそんな言葉を投げつけるのはおかしい。ただ、これに怯えて次に行かないと、それだけの気持ちなのだと思われるから、今度は違う医師なのだから、行きなさい」と、なぐさめ、勇気付けてくれる。
2日後、予約の医師の診察。ゆっくり私の話を聞いてくれた。そして、「わかりました。じゃあ、入院をためしてみましょう。一ヶ月くらいかな」と言ってくれた。助かったように思った。
そして入院。
6人部屋のいちばん窓際のベット。部屋の出入りも出来ないような、鍵尽きの部屋を想像していたのに違った。部屋、ホールなどの出入りは自由だった。
ただ、フロアから外界へは、鍵のかかる2重扉があった。私は看護士の付き添い無しでは外に出られなかった。
「ここはいったいどんなところなのだろう」と私は怯えた。知らない人ばかり、患者も、看護士も、医師も。
私は沈黙した。
入院生活については、いまだ私のなかで整理されていない。ここに語ることができない。
ただ、私が入院、という詳細な、時間をかけた診察の結果「うつ病」ではないと診断されたこと、
そして「感情の振れ幅が大きすぎる」と。「いつかどこかで、無理のくる生き方だったのですよ」と伝えられたことを述べよう。
あまりにもたくさんのことがあった入院生活。ただ今は、入院をして良かったと思うこと、 そして私の入院棟を示す「E3」という無機質な言葉が、
一生特別な意味をもつだろう事だけ、言える。
現在服薬内容は次の通り。
朝夕。以下の3種。
抗鬱剤「トレドミン」25mg*2錠
抗不安薬「デパス」1mg*1錠
感情に「たが」をはめるための薬「テグレトール」200mg*1
昼。以下の3種。
抗鬱剤「トレドミン」25mg*2錠
抗不安薬「デパス」1mg*1錠
感情に「たが」をはめるための薬「テグレトール」100mg*1
眠る前以下の3種
睡眠導入剤「グッドミン」0.25mg*1
催眠鎮静剤「ベンザリン」10mg
精神神経安定剤「インプロメン」1mg*1
不安時頓服薬として
緩和精神安定剤「ホリゾン」5mg
不穏時頓服薬として
精神神経用剤「コントミン」糖衣錠
神経系用剤「リスパダール内用液」1mg
(2007.1.3)
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