信仰について


私は。殉教の町を見にいったのです。「沈黙」や「女の一生」に描かれている町です。
浦上の天主堂へいって、天主堂の歴史を読んだ。

明治初期の「浦上四番崩れ」をご存知でしょうか。「女の一生」第一部、キクの場合などに描かれています。
江戸時代の迫害を超えて、密かに残っていたキリシタンが、女子供まで捕らえられ、全国各所に流刑にされました。
彼らは信仰を捨てるよう拷問を受けつづけました。拷問は4年後に明治政府が外圧によって方針を変えるまで続いたのです。
浦上の人々はこの4年間を「旅」というのだそうです。

浦上のキリシタンが「旅」からかえると、自分の土地は人手に渡っていて、住む所もなくなっていました。生活は苦しかったはずです。
キリシタンは少し離れた大浦にある天主堂に通いながら、「自分たちの村に天主堂がほしい」と思ったのだそうです。
建設費もないけど、それでもほしいと思って、すこしづつお金を集めて、みんなで作ったのだそうです。
経済的な事情で何度も工事中断しながら、何年もかかってつくったのだそうです。
完成したときは、それはそれはうれしかったでしょうね。

でも、そう、そんな天主堂のすぐ近くにあの原爆が落ちた。全部壊れてしまった。原爆が落ちたとき教会ではミサの最中だったのだそうです。
教会が壊れて、みんな下敷きになってしまった。
神様をたたえるミサの時に、なんでそんな悲しいことが起こるのでしょうか。

それでも浦上の人達はまた天主堂を建てた。

私は浦上の天主堂にいって、この天主堂の歴史は、すべてここの人たちの信仰によって起こったことなんだと思った。
信仰によって流刑にされ、拷問を受け、帰り、信仰によって教会を建て、ミサを守り、建て直した。
人が、何かを信じるということの不思議を感じた。神様や、イエス様、マリア様。キリスト教のものでなくても、人はみんな何かを信じている。親を、子供を、友人を、恋人を、伴侶を信じている。

不思議なことですね。そんな「信じること」のちからが、こんな立派な教会を作り、こんな大きな歴史を作ったなんて。なんて、大きな力なんでしょう。

26聖人の殉教も、大浦の天主堂にも、コルベ神父の人生にも、そんな信仰の力を伝えるものがたくさんありました。

感嘆。


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