曽田由美「前歯の窓」

新風舎「新聞に載らない小さな事件 日常万事塞翁が馬」 より一編


3歳の息子がある日、すべり台の上での順番争いから、友達を突き落としてしまった。
母である筆者は、帰宅後、強く責めたてた。何百回も、何時間も。 そして、激昂のあまり、 「あなたはこうやったのよ!」と、息子を突き飛ばし、前歯を、折ってしまう。
やりすぎた、という後悔。怒りにまかせて理性を失っていた、と。 そうして、もう2度とこのようなことはするまい、と彼女は思う。

しかし、またある日、同じように怒りに理性を失って手を上げんばかりになった時、息子に、言われるのだ。「また歯がとれちゃうよ!おかあたん、だめだよ!」と。

筆者は、「何かが起こるたび、自分が成長しているのか後退しているのかわからなくなる。」という。
そして「母親とはこんなにも足元がおぼつかないものなのだろうか?」と。

これを読んで私は、ああ、不安を抱えながら母親であるのは、私だけではないのだ、と涙が出た。
私は、私の母のような母親になりたかった。
いつも楽しげで、太陽のようだった母。
叱る時には、泣いても甘えても許すことなく、必ず布団たたきで所定の回数、お尻をたたいた母。山のように、厳しかった。
私たち子供の前では、決して自分の不安を見せることなく、動揺することなく、感情に流されることのなかった母。

私は、そんな母親になりたかった。
なのに、現実の私ときたら、娘の笑顔を前にして、ふと、「この子がもし、何かの事故で死んでしまったりしたら」という不安に取り付かれ、娘を抱きしめて泣き出してしまう。
娘はびっくりして、「ママ、ママ、どうしたの?」と不安がり、そして「だいじょぶ、だいじょぶ」と私を慰めてくれる。
時に、娘の行動に意味もなくイライラして、爆発しそうな感情をこらえようと手の甲を強く噛み締める。娘は「ママ、かんじゃゃだめよ〜」と、哀しそうに、言う。

こんな母親にはなりたくなかった。

そう、私は一生母親になるつもりはなかった。大切なものをもってしまったら、失うことに怯えて生きていかなくてはならない。その不安が、生むことをやめさせていた。
ただ、5年前のあるほんの3ヶ月の間、その不安が去って、子供もいいんじゃないか、と私に思わせた。3ヵ月後、同じ不安がやってきたとき、そのときにはもう、赤ん坊の種が、宿っていた。

働く母親になるつもりもなかった。妊娠したのは就職して2年目の秋。面白い仕事ではあった。けれど、専業主婦の母に育てられた私は、働く母親を想像することができなかった。すると上司が、結論を急がなくていいから、とりあえず産休を取って、育児休暇も取って、それから考えていい、と言った。
だからなんとなく産休をとり、2001年6月、無事娘が生まれた。
会社の規定では、子供が3歳になるまで育児休暇を取得することができた。いつ復職するかなんて約束せずに、なんとなく育児休暇に入った。
育児休暇中、なんとなく読んだ新聞記事。ドイツやオランダでは、男性の育児休暇がさかん、という記事だった。「へえ、そうなんだね〜」と、他人事のように夫と話しながら、ふと、あれ?あなただって育児休暇取ったっていいのよね?と思いついた。
単調なサラリーマン生活に飽きていた夫は、しばらく休んでみるのも面白いかもね、と軽く考えた。そして、あれよあれよという間に、娘が生後6ヶ月を迎える12月、夫が育児休暇をとり、必然的に私が復職することになった。
夫は、夫の会社の規定と保育園の入園の都合で、娘が生後10ヶ月を迎える2002年4月に復職し、そして娘を抱えた夫婦共働きの生活が始まった。
二人とも時間の融通のきく開発職であったこともあって、自然と交替で保育園の送り迎えをするようになった。
目の前に仕事があれば仕事をし、子供がいれば育児をする。
目の前にあることをしているうちに、すっかり私は働く母親になった。

こんな母親になるつもりはなかったのに。

こんな母親になるつもりはなかった。考えたこともなかった。運命の流れを受け止めてゆくうちに、こうなってしまった。
そして、自分の理想像とのギャップがあまりに大きいことに、
考えたことも見たこともない生活をしていることに、
いつも不安を抱えながら暮らしている。

でも、そんな風に暮らしながらも。
いつか娘が大人になったときに、と夢見る。
私が、母親になるなら自分の母のようになりたい、と思ったのと同じように、
娘が思ってくれたら、どんなに幸せだろうかと。


(2005.11.12)

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