ジョン・アーヴィング「熊を放つ」

村上春樹 訳 1989:中公文庫

「読まされてしまった」と思う小説がある。文体になじみにくかったり、テーマが身近でなかったりしてひどく読みにくいのに、途中で投げ出せない小説。

そもそも私がこの本を買ったのは「訳:村上春樹」に惹かれただけで、「ジョン・アーヴィング」なんて聞いたこともなかったんだ。 大体外国の作家はあんまりなじみがない。「有名だから、きっと面白いんだろう」と思って買ってみて、やっぱり読まなかった本が本棚の後ろにたくさんある。あ、ずっと前に買ったスコット・フィッツジェラルドの「マイ・ロスト・シティー」は読めた。それも村上春樹の訳で、だから私は一昨日、この「熊を放つ」を買ったんだ。

村上春樹のせいにするのはやめよう。私はどうしてこれを読まされてしまったんだろう。
疲れた。読み終わってほっとした。何度も「後どれくらいあるんだろう」と残りページを確かめては読み進めた。何でだろう。

ああ、それはグラフが必死で読みにくいジギーのノートブックを読んだのと同じ思いなのかもしれない。
ジギーとグラフはいっしょに旅をしたけど、ジギーが死んでしまうとグラフはジギーについて何も知らなかった。だからグラフはジギーのノートブックを読んだのだと思うし、私も「ジギーは一体なんだったんだろう」と思ってノートブックを読んだ。ノートブックを読んで、私もグラフと同じようにジギーの計画に巻き込まれて、「動物園破り」に行ってしまった。

そしてやっと物語りは語りやめ、私はジギーの計画から開放される。物語の中のグラフはこれからもジギーに巻き込まれつづけるのだろうと思う。

ジギーに巻き込まれたから、私は読みつづけなくてはならなかったのかもしれない。

村上春樹は後書きでこう書いているけれど。

   この「熊を放つ」には読者のー少なくとも僕のー
      背筋をしゃきっと伸ばさせるだけの「想い」とでも
      言うべきものがいわば手つかずの形でこめられているのである。
    (略)僕はこの「熊を放つ」のページから立ち上ってくる
   むせかえるような青年期の「想い」、混乱して未整理な部分もあるにせよ、
   それだけにかえってリアルにそのもどかしさを伝えてくれる
  「想い」に強くひかれてしまう。

そんな力を持った小説だった。(98.10.8)

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