幸田文
新潮文庫
「えぞ松の更新」から「ポプラ」まで15編のエッセイ。読んでみると、今まで何ともなく思っていた街路樹や公園の木がぐっと表情豊かに語りかけてくれるようになる。幸田文は、私が気づかずにいた木々のメッセイジを掘り起こし、丁寧に磨き上げて差し出してくれたように思う。
そう思ってから公園を散歩して、エゴノキの青い実をたわわにつけているのが目にとまりました。小指の爪より一回り大きいくらいのそれがビーズでできたブローチのようにシャラシャラと下がって、それはそれは華やかだったのです。生活の中にある木の名を覚えてゆきたいと思います。木の一本一本をこれはハンの木、これはラクウショウ、と丁寧に見られたら、どんなにくらしが細やかに、心豊かになれる事かと思うのです。
三編目の「ひのき」に、木材としては使い物にならない「アテ」と呼ばれる木のことが書かれています。木材には何のトラブルも無くすんなりと育った木がよいのだそうで、厳しい環境のために節ができたり、傾いだもの等は厄介物で「アテ」というのだそうです。幸田文はそれを、辛い目を必死で乗り越えた木が役立たずだなんてあんまりひどいと哀れみます。人間であればそれは「苦労人」と呼ばれるのでしょう。私も、苦労を知らずに育った人の鷹揚さ、伸びやかさをまぶしく感じる一方で、報われないかもしれない苦労を引き受けて過ごす人のひねくれ具合の方をじっとみつめたいのです。 (2001.9.27)