乃南アサ「家族趣味」

新潮文庫1997.5

短編集です。収録は「魅惑の輝き」「彫刻する人」「忘れ物」「デジ・ボウイ」「家族趣味」私が一番印象深かったのは「デジ・ボウイ」でした。

彰文という中学3年生の男の子がいます。いつも無気力そうで、ぼんやりしていて、「そんなに生きていたくもない」と簡単に言います。 何にも一生懸命になったり感情を昂ぶらせたりしないのです。

その従兄弟の直樹は対照的でスポーツをしたり、性に興味を持ったり、好きな高校に行くために受験勉強にがんばったりしているのです。 直樹の目から見る彰文が描かれます。

直樹の方が健康的だし、わかりやすい性格でいいですね。友達にするならこっち。 でも、興味をひかれるのは彰文のほうです。

「目的なんかなくったって、別に、生きていけるよ」と彼は言う。

そのとおりです。

私だって別に生きる目的なんてありません。 生まれたから、死んでいないから、生きているだけです。 死んだほうがましだとおもうくらい苦しいときにだって私の心臓は勝手に動いています。私の体は何もしなくても勝手に生きています。積極的に死ぬ理由はないから、生きているだけです。

生きるのがめんどうくさくなるときはあります。 だって生きているから働いてお金を稼がなきゃいけないし、食べて、排泄して、時にはストレス発散してやらないとイライラします。

生きるのって大変です。でも、私の体は生き続けるし、死ぬのもなんか大変そうです。死んだ後どうなるかわからないのも不安だ。死んだ後に人に迷惑をかけるのはいやだし、人を悲しませるのもいやです。 そう思うから私は生きています。

世の中のみんなは違うんですか? なんか目的があるから生きているんですか? 生きる目的って?わかんない。夢をかなえること?いい生活をすること? じゃあ、目的を達成したら死んでもいいの?

私はただ生きています。どうせ生きるんなら楽しいほうがいいと思ってはいます。生きていると楽しいことが起こったりも時々します。そういうときは存分に楽しみますし、自分から楽しみを求めたりもします。 でも、そのために生きているわけではない。生きる目的なんて、あるんだったら教えてください。そうしたら生きるってつらいと思うときにももう少し楽になるんでしょうか。

解説は柴門ふみ。彼女は「デジ・ボウイ」について 「ラストに大きな感動が待ち受けているのだ」 「ほかの四編と違い、涙と救いが読後に残る」 といっていますが、私はそうは思わない。 私の中に残るのはなんかよくわからない同情です。

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