辻 仁成「カイのおもちゃ箱」

1991.6 集英社

現代の東京を舞台とした1日の物語です。10歳の少年「カイ」が自閉症の治療のために両親に東京に連れてこられ、両親の手を振りきって一人になり、一日を過ごします。「カイ」は特別「人間嫌いの救世主」と呼ばれます。物語はカイの両親、変質者におびえてカイに助けを求める子供たち、バズーカ砲を持って世直しを訴える老人、現実からドロップアウトして空想で世界を紡ぐ男、街にうごめきつづける人間を描きます。 私のイメージではこの舞台は新宿。新宿の街を細かに思い浮かべながら読みました。


私は、衝撃的なことに気づきました。私は、もう、神様を信じていないのかもしれません。
老人は言うのです。「神は死んでしまった。第二次大戦の前に、ぽっくりと。導いてくれる神はもういない、人間は、人間だけの力で、どうにかやっていかなくちゃならない。」
カイに向かって精霊はいうのです、「君は、人間をつぶして地球を救う救世主なのかもしれない。」
そして物語は「神なんて、本当はいないのかもしれない」と繰り返すのです。

私が自分の気持ちに気づいたのは精霊が、「僕には本当はよく分からないんだ。 なぜ神が人間という種を創造したかがね。」と 語った時でした。
私は聖書の創世紀を思い、確か神は、世界創造の一番最後に、「自分に似た者を造ろう」といって人間を作ったのだったと思い、でも思い直して、「そんなの、人間の作った物語にすぎない。創造伝説なんて、そんなの。」と思いました。
そして私は驚いた。わたし、聖書をこんな風に否定するはずはなかったのに。聖書は神様の力で書かれたものだから、一字一句間違いないと、かつては、思っていたのに。

私は神様を信じていました。それがどんな物かはよく分からないけれど、神様が存在するということを信じていました。記憶にある限り、生まれてからずっと。

私は驚いて、今、自分が、神様についてどう思っているかを確かめてみました。 そうしたら、今の私の心には、その、かつて信じていたもの、「神様」がいないのです。 どこにいってしまったのだろう。どこで見失ってしまったのだろう。どうして、信じられなくなってしまったのだろう。

私は、神をずっと追い求めていました。どんな物だか分からないけど、確実に心の中にあって、信じていたから。どんな物だか分かりたくて、人に聞いたり、本を読んだり、一人祈ったり、教会にいってみたり、していました。信仰を持っている人がうらやましくて、でも素直に入信できる宗教には出会えなくて、迷いつづけていました。迷いつづけながらもキリスト教にひかれつづけ、遠藤周作を読み、「こうやって迷いつづけることが私の信仰の形なのかもしれない」と考えていたのに。
迷いつづけるのは苦しかったです。迷っているうちに、私は、神の姿を見失ってしまったようです。 それとも、今まで見ていたと思っていたほうが幻で、今、私は目が覚めたのでしょうか。 私は一体何を信じ、何を求めていたのでしょうか。今となってはわからないのです。 人生の大きな道標を失ったように思います。


「カイのおもちゃ箱」が私に与えたのはこういうことでした。あまりにも個人的で、この本を読もうという人の参考にはならないでしょう。小説としては好みのほうです。辻仁成(つじひとなり)を読んだのはこれが初めてですが、また何か読んでみようと思いました。(97.12.4)


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Last modified: Thu Dec 4 18:44:55 JST 1997