双葉社:1995年初版
短編集です。私は「小学六年生」連載の表題作と「やまもとくんとまぶだち」(「宝島」連載)がすきです。
中学生のとき、ずるやすみをしたことがあります。具合がわるいと母に嘘をつきました。
母が仕事に出かけたことを確かめて起きだした時の、満足感と開放感をまざまざと覚えています。
中学三年のとき、遅刻を繰り返して担任に呼びだされました。
人気のない廊下で、私は壁にもたれるようにして立って向かい合っていました。
「受験も近いのにそんなことでどうする。」
「近頃一体どうしたんだ。あなたらしくない。」といわれて
「おまえが私の何を知っているというんだ」
「私らしい、って何だ。遅刻しないことが私らしさなのか」と、思うだけで、
実際には
「つかれてるんです。受験を前に緊張しているんです。」とこたえた自分をくやしくおもいます。
私は学校が怖かった。高校三年生の十月にそのことに気づきました。
怖かった。学校に私が評価されることが怖かった。
だからいい評価をもらえるよう頑張った。
でもどうしても体育は苦手で、通知表も悪いまんまで、でもそれはきづかないふりをしていた。
学校に悪い評価をされているということは「あなたはだめな人間だ」という烙印を押されることのように感じていた。
いまもこわい。学校は容赦ない。
「はれた日は学校を休んで」のめぐみは「だいきらい こんなとこ」と学校の壁に書いた。
わたしは学校がきらいだったんじゃなく、いやだっただけ。
「きらい」というには学校ときちんと向き合わなくてはいけないから。
こわかったから、向き合えなかった。いやだっただけ。
「そうゆうのって、さみしいわ」とめぐみはいうのだろう。(00.2.19)