人間が死に、誕生するのは満潮の時刻が多いのだという。
「明石」という男になぞらえて遠藤周作が描く病の、入院と手術と病院の生活。
生きるか死ぬかの生活。
「なぜ、けむりは、まっすぐ、ゆうぐれのそらに、のぼるのか」
わからない。なぜ病に苦しまなくてはならないのか、なぜ苦しんで生きなければならないのかわからないのと同じように。
(2008.4.20)
遠藤周作の遺稿とも言える4編の短編。
「無鹿」はラテン語で「音楽(ムジカ)」。大友宗麟が自分の夢を、神の国を地上に実現させようとした土地。
宮崎県延岡市無鹿。
遠藤周作の作品に繰り返し現れる「人生と生活」というキーワード。
彼の作品を読み始めた学生の頃からひっかかっていたこの言葉。
当時は「違いは何だろう?」と考えていたけれど、
働き、子を持ち、これが生活といえるものを自ら営む今、すこしづつわかる。
私の人生と私の生活。
ひとりで本を読んでいるとき。
それから、自分の日記帳に自分のための言葉を連ねているとき。
私は私の顔をしていると思う。
それを私の人生と呼んでもいい。
私の心は年老いることができるだろうか。
年老いて人生の深さに触れられるのならば、
早く歳をとりたい。
どう足掻いても、時間の流れを変えることはできないとわかりつつ、願わずにいられない。(07.12.15)
(2007.7.21)
今かばんのなかに入れて少しづつ読んでいるエッセイ。
遠藤周作の作品は全て読むつもりでいて、
著作一覧を見ても9割方は読んだと思っているけれど、
こういうエッセイ集は読んでいないのが残っている。
古本屋にいくたびに発掘がある。
「屈辱に耐えよ」
と彼が語る。彼の母校で、卒業式の祝辞に。
「屈辱に耐えられるということが、昔の日本人にとって大人となった決め手でありました」
私は子供なのだなあ、とあらためて思う。
長崎のエッセイを読めば、長崎に行きたいと深くおもう。
今大浦天主堂のマリア像の前に立ったら、わたしは、どんな思いが湧くのだろう。
(2007.6.28)
私は両極端な性格をもっている。だからこの著作の中の、二人の女性に思いを寄せる。
元気で明るくてしっかり者の私は「マルタ」
イエスをもてなす料理に忙しく立ち働いて、手伝いもしない妹のマリアに苛立ち、
イエスにたしなめられるマルタ。
イエスは、優しくマルタを、私をたしなめてくれる。
「自分だけの独善性を人生の中にみちびき入れはしないか」
と。
泣き虫で一人ひざを抱え、不安に怯える私は「病める女」
12年間長血を患い、救いを求めてイエスの衣の裾にそっと触れた、女。
私は一人ぼっちではないのだと、イエスさまがそばにいてくれるのだと。
(2005.12.20)
(私は女なので)一度男になってみたい。男として繁華街を歩き、素敵な女性に声をかけたい。居酒屋(天狗なんかで)一人で酒を飲んで、立ち小便を経験。銭湯で他の男性を観察し、相手が見つかればセックスをしてみたい。・・・、みんなが一度は似たようなことを想像するのでは?自在に性を変えることのできる薬をめぐっての面白おかしく、ほろりとさせられつつちょっと考えさせられもする話でした。作中では結局薬にこりごりして終わるのですが、本当に肉体と精神とで性が一致しない病気があると聞いたことがあります。性転換手術はその治療のために行われると。性とは肉体のみで決まるものではないのかもしれません。(2001.8.22)
遠藤周作の「イエス・キリスト像」を描いた作品の一つです。 私は幼い頃日曜学校に通ってイエス様のお話をたくさん聞きました。クリスマスのお話、たくさんの奇跡、十字架にかかったこと。神様の天地創造物語。そして、神様を信じていない人はこの世の終わりに地獄へ落とされるのだ、と習いました。今も、忘れられません。私は恐らく、何らかの「神様」を信じています。それはキリスト教の教える神ではないかもしれません。そして私はイエス様を無視することはできません。何も悪いことをしていないのに十字架にかかった人として。しかし日曜学校で教わった事柄は疑問を育てるばかりでした。一方ではイエス様は水をぶどう酒に変え、盲目や足なえを治すなどすばらしい奇跡を行って崇め奉られるのに、最後には悲しそうに、一人ぼっちで十字架で死んでしまう事が子供心に納得がゆかず、私はイエス像をつかめずにいました。だから私はこの作品を読んで、ここにも自分のイエス像をつかもうともがいている人がいる、と遠藤周作を身近に感じたのです。そして私もここに描かれたイエス像に共感したのでした。(2001.8.16)
ヘチマのようにぶらぶらと生きる「豊臣鮒吉」の物語です。「ガストン」よりも気楽そうに、柔らかく、少しだけかなしげに生きているように見えます。ひとは幸せなときよりも悲しいとき、苦しいときに真剣に思考します。真実に近いものが見えるのはそのときなのでしょう。でも、苦しみが終わると多くは忘れてしまうのです。鮒吉の送ったオルゴールをセンブキ屋の典子さんが捨ててしまったように。たぶん。(2000.1.10)
「海と毒薬」で描かれた医者がまた描かれていて、そして「おばかさん」のガストンがいます。くりかえし、くりかえし、私達の哀しさを、えがき、医者は、自分の命を絶ちます。医者の言うように、人間は苦しむためにうまれてきたのだとしたら、生まれてしまった事が悲しくて、赤ん坊は泣くのだとしたら、それでもこの生を肯定するために、私は何をしたらよいのでしょうか。(99.11.28)
織田信長の物語です. 彼の父が死んでから朝倉氏を滅ぼすまでの時が語られています. 私はお市の方と濃姫が思いやられてなりません. 私は、こんなにも女なのだとこうゆう時に感じます.
大友宗麟の物語です。 彼は戦国時代の九州、豊後国主でありました。 戦国時代、多くの武将が激しくしのぎを削ったこの時代は日本にキリスト教の布教が広くはじめられた時代でもありました。 大友宗麟は国主として多くの布教者に出会い、キリストに出会いました。 詳しい感想はこちら 「神はいるのか」
彼の多くの作品で登場する「ガストン」のお話です。愚直で、ただただ優しいガストン。彼がやっているのはどんな目にあっても人を疑わないこと、信じること、見捨てないこと。そんなガストンに対して周囲の人間は戸惑い、ののしり、また時に感嘆します。私は、ガストンを見てどうしようもなくつらくなります。私は私を信じてくれた人を裏切ったことすらあるからです。(99.2.10)
泣きながら読みました。「ルーアンの夏」「留学生」「爾も、また」の3部構成です。「爾も、また」が一番胸に迫りました。フランスに留学した仏文学者田中が文学に対して、彼のテーマであるサドに対してもがいているからです。そのもがきようが真摯で、生活にまみれながらも真摯な部分があって、人生が垣間見えるからです。それに比べて私は、人生をかけるべきなにもみつけていません。(99.2.1)
一編2.3ページがほとんどの短いエッセイを集めたものです。こうしてみると、遠藤周作氏がとても「庶民」だったことがわかります。東京の住宅事情の悪さや激しい渋滞に対する文句なんて読んでいると、親近感があふれてきます。このあたりが「孤狸庵先生」として多くの人に親しまれた所以なのでしょうね。インドの占い師に「前世は鳩、来世は鹿。」といわれた話がありますが、前世話から私は自分の前世について考えました。そう言えば、私の左腕には生まれた時から痣がある(と母が言うものが今もある)ので、これは何か前世と関係あるのかもしれません。(98.11.27)
画文集です。イエスの一生にまつわる名画を受胎告知からイエスの復活まで15枚取り上げ、遠藤周作らしいイエス観を語っています。絵画にこめられた人の思いが伝わってきます。私が一番印象に残ったフレーズは「事実よりはるかに高い真実」。
詳しくはこちら「事実よりはるかに高い真実」(98.11.11)
なんでもない話です。良くあることです。ずっと片思いしていた女の子を、友達に取られたんです。もちろんその友達は僕がその子を好きだったなんて知らないんです。友達が事故で死んで、女の子は1人になりました。僕は、彼女を慰めようと、おもって、彼女と結婚しました。ずっと好きだった彼女と一緒になれて、それは、嬉しかったです。でも、彼女は、幸せにはなれないようでした。僕の思いは、最後まで、伝わりませんでした。(98.10.14)
60's終わりから70'sはじめころの東京が舞台。大学を出てキャリアウーマンを目指す純子とその父親菊次との関係が物語の中心。戦中派の父親の考え方と若い純子の考え方が対比されたりしているけど、私は純子がそんな生き方で受けた傷に思いをはせました。純子は父親に反対されながらも妻子のある宗という男と恋に落ち、宗は「今の妻とはまもなく離婚するから」といって彼女と結婚を約束するのですが、結局は宗は今の家庭をとって、純子を捨てるのです。
詳しくは:傷つくこと
他二編は「アデンまで」「学生」。「白い人」は芥川賞受賞作。
「人種」に関する彼の思いを書いています。白人、黒人、黄色人。 私はこの中で「アデンまで」に一番思い入れがあります。日本人の男性がフランスで白人の女性と交わり、人種の違いについて思い知って後ーロッパを離れます。日本の男チバが白人の女マギイと初めて体を合わせるシーンが私に強烈な印象を残しました。金髪の女性を見るたびに思い出します。
「... その時ほど金髪が美しいと思ったことはなかった。汚点(しみ)一つない真白な全裸に...」
そしてチバはそれと比べた自分の黄色い肉体を醜いと思うのです。 私には人種問題について語る資格はないように思います。それを自分の問題として捉えることが難しいからです。そしてこの問題の存在だけを意識しています。(98.7.21)
題名のとおりフランス革命前後のマリーアントワネットを中心に描いた物語です。彼女の浅はかさ、さみしさ、よろこび、くるしみ、優しさなどがとても丁寧に描写されています。どうして遠藤周作という人はこんなに深く、優しい目で女性を描くのだろうと感嘆させられる作品の一つです。
アントワネットが断頭台を登るとき、とても軽やかな足取りで優雅に登り、人の足を軽く踏んでしまったこと。そして「ごめんあそばせ。わざとでは、ございませんのよ」といったと物語られています。
女性セブンで連載されていたベルサイユのバラ(remake)も先日最終回を迎えましたが、アントワネットという女性は栄華の絶頂と革命による転落、処刑という人生の激しさのゆえに多くの人が物語り、深い印象を人の胸に残すのですね。(98.7.23)