遠藤周作


遠藤周作目次
「妖女のごとく」「悪霊の午後」
91.4./86.5. ともに講談社文庫

2つとも多重人格の女性を扱った小説です。「妖女のごとく」では以前紹介した「真昼の悪魔」と同じような女医が、「悪霊の午後」では美しい未亡人が取り上げられています。両作品とも共通のテーマですが「悪霊の午後」のほうが私は面白かったです。上下巻で長いけれども。この小説に出てくるのは多重人格の極端な例ですが、だれしも自分の中にいろいろな人格を抱えているような気はします。楽天的な自分と心配性な自分、快楽主義や禁欲主義。みんな、いろんな自分を一生懸命操りながらどうにかこうにか生きているのだとおもうのです。(98.5.27.)


協奏曲
1979.5.講談社文庫

2つの異なった恋愛の形を描いた物語です。 1つは「恋愛」だけでは生きて行けないと考えてしまう、生活のためには恋愛は犠牲にしなければいけないという悲しみを知っている「千葉」と 「淑子」の恋。
もう一つは恋愛のためならすべてをなげうてる、激しい、若い「弓子」の恋。この二つの恋が交互に描かれ、絡み合いながら「協奏曲」を奏でます。

「弓子」の恋はいまいち胸に迫ってきません。「淑子」と「千葉」の悩みながら、自分の恋をおさえようと苦しみながら生きている姿のほうに共感します。
結局弓子の恋はかなわず、「世代が違うんだ。考え方が違うんだ。」と彼女は考えるのですが、彼女もあと10年ぐらい生きたら千葉や淑子の考え方がわかるかもしれません。
1979年の作品で、主に舞台はフランスです。このころの海外旅行が今とどんな風に違ったかがわかります。また遠藤周作がフランスに留学した際の思い出もちりばめられているようです。(98.5.11)


ただいま浪人
1974.3.講談社文庫

彼の主要なテーマの一つ、「人生」と「生活」についての長編です。
浪人を経て落第し、いい大学にいっていい会社に入るという「生活」ではなく,「人生」を求めて犯罪に荷担する信也。
ずっと年上で子持ちの男優本多公介との恋を「人生」としながら,平凡なサラリーマンとの結婚生活を選んだ信也の姉、真里子。
日本駐在中に「ミツ」の生んだ自分の子供を捜しにきた元アメリカ兵ロバート・オノラ。

本当のことをいうと、私には遠藤周作のいう「生活と人生は違う」というテーマがよくわかりません。それは私がまだ若くて、学生で、自分の生活の多くをまだ両親に依存しているからでしょうか。
この作品で信也は人生を選んだために家族との平和な生活を捨てたのですし、真里子は生きがいを与えようと言ってくれた本多との恋を捨てて平凡な生活が待つであろう結婚を選びました。
生活と人生はそんなにも両立しないものなのでしょうか。生活のためお金を稼いで、ご飯を食べて、掃除や洗濯、子供の世話をして、そうやって暮らしているうちに、「私は人生を生きていない」と、そう感じるときが私にもくるのでしょうか。(98.2.27)


スキャンダル
1986.3.新潮社

遠藤周作が自分をモデルにして罪とは違う「悪」について描いている。
65歳の老人になって、自分の中の今まで知らなかった醜い部分をみせられる。キリスト教作家として成功し、自分の世界を作り出した老人。彼はその年になってなお自分の価値観が崩壊するような体験を直視する。 醜い自分。それは性の部分にあらわれた。新宿の、歌舞伎町などいかがわしい店に出入りしている自分。SMクラブや覗き部屋、おむつプレイなど変わった性を体験させる店。
そんな自分の一面を否定していた彼も、それを認めざるを得なくなる。認めて、そんな自分をどうしたらいいのかわからないまま「スキャンダル」は終わる。その文末は、醜い自分を無視することはできない、向かい合わなくてはならないという決定を告げている。
本文の後には河合隼雄の文章が収められています。 (97.10.23)

「スキャンダル」より私の心の中の「悪」について
真昼の悪魔
1980.12.新潮社

病院を舞台に、人の心にある「悪」への欲求を描く。「この世でもっともいやらしい悪をやってみよう」と思う心。どんな悪を行っても、痛みを感じないからからに乾いた心。遠藤周作はこの心を悪魔に住み着かれた心のように描くけれど、これが悪魔の仕業なら、きっとすべての人間の心から悪魔は生まれているのだと思う。(97.9.29)


深い河
1993年6月、第一刷発行 講談社

作者がここで「深い河」と呼んでいるのはインドのガンジス河のこと。ガンジスの、何もかもを受容する深さをさしているのだろう。晩年の作品のせいか、登場人物の多くに作者の人生が投影されているように思う。大連ですごした子供時代と犬との交流、別れの思い。妻への愛情。そして「大津」には西洋のキリスト教と日本という風土、棄教しようとしてもできないということ、母への思いを。 私は早く深い河へゆきたい。

「深い河」(2000.4.8)
私の感想「深い河」(97.6.27)
女の一生
(一部「キクの場合」1982年1月・二部「サチ子の場合」1982年3月刊行、朝日新聞社。新聞連載作品。1986年3月、新潮文庫)

長崎を舞台とする、人を恋する女を主人公とした小説。第一部では江戸時代末期から明治初期のキリシタンへの迫害を背景にし、第二部では第二次世界大戦の前後を背景とする。「女」に対する作者の愛情、感嘆が詰まっているようだ。私はこれを読んで長崎にいきたくなった。大浦天主堂のマリア像を見たい。

この後長崎にいきました。長崎にいった話


1986.6.新潮社文庫

江戸時代初期、東北地方のある藩からスペインに向けて船が出た。日本の小さな村で地侍として一生を送るはずだった侍は、藩主の命によりローマ法王への親書をたずさえて海を渡る。西洋文化に対する侍の困惑。それは日本的なものと西洋的なもののギャップをあらわしているのかもしれない。7年のたびをおえて帰ったときにはキリシタンは禁制となり、侍のはたした役目は意味のないものとなっていた。運命に流されていく人間の姿である。
侍ともう一人、宣教師ベラスコに注目している。生々しい、激しい神父の姿が描かれている。(1997.7.23)


沈黙
1966.3.新潮社

1630年頃、江戸時代。キリシタン禁制下、隠れキリシタンを探して日本へ密航した司祭ロドリゴの物語。キリスト教を疑わず、日本への布教の信念をもっていたロドリゴが、日本のキリスト教弾圧の中で悩み、苦しむ。 「神の沈黙」考えるたびに、重い。キリストを信じているせいで拷問にかけられ、殺されていく信徒にたいして、神様は何もしない。奇跡はおこらない。神がいるなら、あんな状況を黙ってみているなんて、許せない。「もしかして、神様っていないの?」信じていたものを疑うのは、苦しい。(97.8.26)


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