「深い河」遠藤周作

美津子はひどく誠実な人間なのだと思いました。 彼女は、自分で自分の嘘を信じることができなかった。 私は、よく自分の嘘にごまかされながら生きています。
たとえばセックスをするとき、嘘をついたことのない女性なんていないとすら思う。 たとえきもちよくなくても、そうゆう声をあげる。 演技をしていると、だんだん本当のような気になってくる。それでもだめなときには、別の相手を想像して気持ちを昂ぶらせようとすることすらある。 そうでもして快感を得なければ、自分が惨めだから。 ただ男性の排泄欲求を満たしているだけのような気がしてしまうから。 だから、自分をごまかそうと一生懸命に演技する。演技を信じこんで体がその通り反応するようになるまで。慣れればわりに簡単なことです。
美津子もきっと、そんな演技をしたことがあるだろう。でも、彼女は演技を信じこめなかった。 お酒を飲んで騒いだことも、平凡な結婚をして満足しようと思ったことも、自分をごまかせなかった。 自分の求めているものはこれではない、という気持ちを忘れることができなかった。 自分の心に誠実であるということは、不幸なことなのかもしれません。

改めて「深い河」を読んで、私がもう三年も前に書いた 深い河の感想を読み返した。
美津子のように、何かを求める気持ちは三年前とかわっていない。私は今も迷っている。 変ったのは、この気持ちを人に話さなくなったことだ。ちょうど以前この感想を書いたころから、 人に話しても無駄なのだと思うようになった。
「昔神様を信じていた。でも、今は神様ってなんなのかわからない。」 「今も何かを信じているけれど、それが何なのかわからない。」 「わかりたくて、迷っている。」 そういった話を人にしても、相手を困らせてしまうだけなのだと思っている。 昔私は一人で迷っているのがさみしくて、辛くて、一緒に迷ってくれる人を探していた。 今もさみしいけれど、一人で迷っている。
答えは愛なのだと大津はいっているのでしょうか。見捨てない愛。常に傍らにいる、という愛。 私にはまだわかりません。(2000.4.8)

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