ここでは、いろんな人間がそれぞれの思いを持ってインド旅行ツアーに参加し、ガンジス河のほとりに滞在するのだが、私はそのうちの誰よりも「美津子」に自分を重ねてしまう。わたしが女性だからかもしれない。また、私には妻を失った磯辺の思いも、戦争でビルマの、死の街道を抜けた木口の思いも、動物に心慰められる沼田の思いも分からない。ましてや大津のように、神父でありながら行き倒れたヒンズー教徒をガンジスまで運んでやるような行為はできない。
私は美津子だ。何かを探し、求め続けている。それがなにかもわからないままに。何を求めているのかはわからないけど、求めているそれに近いものはわかる。真実。唯一絶対のもの。究極。悟り。世界の法則。それさえわかれば、もう何も迷わなくていい、そんな感じのもの。ずっと求めてきて、否定され、否定しつづけて、今は「そんなものはない」と、本当にそう思う。わかってる。わかっていても、あきらめられない。「私は何をしているのだろう」美津子もそうおもった。大津を探しながら。私は昔言ったことがある。「いろんなものを見て、触れて、心と共鳴するものをさがすの。私にとっての真実と出会ったとき、自分の心が共鳴することを信じているから。」私がガンジス河にいきたいのも、それがそこにあるかもしれないと思うからだ。
その「何か」を求めることに疲れ、嫌になりながらも止められないときに思った。こうやって求め、迷いつづけるのが私の人生なのだと思った。求め続けようと思う。