「沈黙」遠藤周作

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昔は神様が許せなかった。
20年前(1997.8.26)の私の「沈黙」を読んだ記録には
こうある。
「神様は何もしない。奇跡は起こらない。
神がいるなら、あんな状況を黙ってみているなんて、許せない。」

一昨年洗礼を受けてクリスチャンになった。
なぜだかは、わからない。

私は神様にうらみごとをいう。
「どうしてこんな私にしたんですか」
「なぜこんなに苦しいんですか」
誰のせいでもないことは、
神様に訴えるしかないのだ。
こんなうらみごとをぶつけることすら、
神様を信じている証だと今の私はおもっている。

「沈黙」は「無い」ではのない。
そこに「沈黙」が「在る」のだ。

見えない、聞こえない「沈黙」の存在を知る。
なぜ沈黙しているかは、わからなくて、よいのだ。

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