世間しらず
「世間知らずであってもいい。」
他者のことをね、最近になってやっと、ほんのすこし、そう思うんだ。
これまで、「世間知らず」、「お嬢様育ち」、と何度他者を胸の中で罵ったことだろう。
でも、たとえば昔のことだけれども。
私が高校を卒業して、毎日新聞の新聞奨学生になろうとしたら、
母がぎりぎりで止めた。在学中に申し込んでおいて、
卒業後に配属店の連絡もあってからだ。
「お金出してあげるから、やめなさい。女の子は苦労させると、可愛くなくなるから」
と母が言った。
ちなみに新聞奨学生というのは住み込みの新聞配達員などになりながら
学費を援助してもらう制度だ。配達所の賄いで奨学生をした友人がいる。
お金がないことを実感したことのない人をうらやましいと思う。
だから、世間知らず、と罵ることがある。
そりゃあ私だって祖母にはかなわないけれども。
私の母の生まれた年の祖母の日記に書かれているのは、子供を3人抱えて、
今日のご飯のこと、それから炭代や畳屋さんへの支払いのこと、
そればかり。
それでも、公共料金が払えないとき、
一番最初に止められるのは電話、最後は水道、ということを知っていますか?
自分で暮らしていて、それを意識して生活したことがありますか?
私はちょっとだけ、お金がないことの恐怖と、なんとかなることを知っている。
スカーレット・オハラみたいにさ。
でもね、そんなこと知らないほうがいいんだって思うこともあるようになったの。
「鷹揚」
ってそういう意味じゃないかしら?
母が私に新聞奨学生をさせなかったのも、そのせいじゃないかしら?
世間知らずでいい。怖いことを知らずに、まっすぐ育っていけるなら。
なんだか、そういうお嬢さんをみて、そう思うことがあるようになった。
ああ、それでも。私が育てる娘はお嬢さんには育たないだろう。仕方ないけれど。