井の頭公園のベンチ
井の頭公園のベンチは、「思い出ベンチ」って、小さなプレートに小さな言葉が刻まれている。
百はあるだろうこの公園のベンチに、百人がそれぞれの思いを言葉にして刻んでいる。
どこのだれだかわからない誰かに届けたい言葉がベンチの形をして並んでいる。


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井の頭公園のベンチは、「思い出ベンチ」って、小さなプレートに小さな言葉が刻まれている。
百はあるだろうこの公園のベンチに、百人がそれぞれの思いを言葉にして刻んでいる。
どこのだれだかわからない誰かに届けたい言葉がベンチの形をして並んでいる。


(1997年5月、文藝春秋)
遠藤周作の遺稿とも言える4編の短編。
「無鹿」はラテン語で「音楽(ムジカ)」。大友宗麟が自分の夢を、神の国を地上に実現させようとした土地。
宮崎県延岡市無鹿。
遠藤周作の作品に繰り返し現れる「人生と生活」というキーワード。
彼の作品を読み始めた学生の頃からひっかかっていたこの言葉。
当時は「違いは何だろう?」と考えていたけれど、
働き、子を持ち、これが生活といえるものを自ら営む今、すこしづつわかる。
私の人生と私の生活。
ひとりで本を読んでいるとき。
それから、自分の日記帳に自分のための言葉を連ねているとき。
私は私の顔をしていると思う。
それを私の人生と呼んでもいい。
私の心は年老いることができるだろうか。
年老いて人生の深さに触れられるのならば、
早く歳をとりたい。
どう足掻いても、時間の流れを変えることはできないとわかりつつ、願わずにいられない。

どこにあるのだろう
どこにあるのだろう
僕のたどり着くべき場所
どこにいるのだろう
どこのいるのだろう
僕のいまいる場所
たぶんわかっている
僕はここにいる
僕はここにいる
ここがどこなのか
わかるのは僕だけ