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2007年4月30日

父と母のもとにいること。

娘と二人、父と母の家に帰る。
仕事のことで痛くてたまらなかった胸が、すこしづつ楽になる。
父が張り切って採ったタラの芽を、母が天ぷらにする。
父は「タラの芽の天ぷらがあるのにビールが飲めないなんてなあ!」と笑う。
「まあまあ、そう何回もあることじゃあないのだから、今年だけ我慢だね」
と私は言いながら一人でビールを飲む。しあわせ。

父はあさってちょっとした手術をする。(だからお酒が飲めない)
どうか、無事でありますように、そう、祈る。
どこに向かって祈ったらいいのか戸惑って、やはり、神様に祈る。

2007年4月29日

わらび

もう出ているだろうか?
そう思いながら毎年の場所を見て歩く。
じっと草むらを見て歩く。

たらの芽

父が朝早くから出かけて山ほど採ってきた。
天ぷらとおひたしにしてたべる。
それから親戚や友人に送る。

2007年4月24日

花水木

毎年思う。花水木が好きだ。
一年前、二年前、花水木を苦しみながら見た。
ひとり、声をあげて泣きながら見た。
今年は、苦しかったことを少し思い出しながら、優しい気持ちでみる。
来年、私はこの年の花水木をどうふりかえるだろう、
そう思いながら。

2007年4月21日

「貧困の光景」曽野綾子

2007年、新潮社。
著者は言う。

「人間は本来、自分の人生で見たこともない状況を想像することはできなくて当然なのである」

そう、だから私はこの本を読んだ。
自分が想像できない光景を見た彼女が、淡々と、またくっきりと貧困の光景を描いているから。
保育器がないから、保育器に子供を入れる一日120円がないから死んでゆく、マダガスカルの赤ん坊たち。
垢だらけのぼろをまとってやってきて、支援物資として送られた服に着替えさせてもらったというのに、
その服を売って今日の食べ物を買うエチオピアの少女。
(そういうことになるから、服を渡すときに古い服は置いていかせるという規則があるのに、
曽野綾子はその規則を守らなかったのだ。)

今回の読書で、私の想像はどこまで届くだろうか。

2007年4月19日

電車通勤3景

人であふれかえったホームで。
4本列車を待ってやっと列のいちばん前に並んだ。
いい場所をとって座ったとたん、目の前に杖をついた年配の男性が現れる。
反射的に立って席を譲るが、「ありがとうございます」と言われた返事の
「いいえ、とんでもないです」に優しさが欠けていたことは認めざるを得ない。
**************
またある日。運よく座ったら、右隣の男性は大音量で音楽を聞いていて、
左隣の男性はずうっと風呂に入っていないような、異臭がした。
次の次の大きな駅で、人の動きにまぎれて席を立った。
**************
改札で。
すぐ前の男性が、切符を入れた反対側のゲートを抜けようとする。
もちろんアラームが鳴って引っかかる。
その男性が切符を入れたゲートに定期をかざして通り抜ける私は、
「そりゃそうだろ」と冷たく思う。
そう思って3歩歩いて、
「ああ、左利きなんだ」と思う。
みるみる人が通り抜けてゆく改札で、あの男性はどうしただろう。
昔、高校生の頃通った、駅員さんのいる改札を思い出す。

2007年4月17日

泣きたくなる

泣きたくなる泣きたくなる泣きたくなる。
ひとりカウンターに座って、不二才のお湯割りをおかわりしたら、
やっと涙がこぼれる。
泣きたくなる理由がわかる。
どうして私はこんな私なのだろうと、また思ったから。
どうしようもない事実を、あらためて見返したから。

2007年4月 8日

イースター

ハッピーイースター。
なのに、永遠の命なんていらない。永遠の死、永遠の炎に焼かれ続けてかまわないと思う。
なんと頑なな心か。

2007年4月 5日

咲く桜より、落ちて濡れて踏みしだかれた桜を美しいと思うこの春。

2007年4月 2日

空を

「泣いちゃうときは空を見よう」って娘が私に言ってくれる。