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教会学校が嫌いだ

娘が今日、教会学校で写真のようなものを作って帰ってきた。
熱心なことに家で色まで塗っていた。

「せいしょをよむ」
「けんきんする」
「しゅうかいにでる」
「おいのりする」
「かみさまのこども」
「イエスさまをつたえる」

ひどく複雑な気持ちになる。
なんだ?これは。
教会学校の担任は、なんと言って子供たちにこれを作らせたんだ?

これらがそんなに「いい」「正しい」ことか?
たとえば「イエスさまをつたえる」。
娘の父はイエスキリストを信じていない。
彼には彼の信じるところがある。

人にはそれぞれの思いがあり、信仰があり、
多くの宗教の中でイエスさまを信じる人たちがいる、
そんな背景を伝えないままに、こんな一面的な浅い文句を子供に刷り込まないでほしいのだ。

教会学校というところは。
子供向けの教会という所は、わかりやすさを追求するばかりに浅いのだ。
浅い考えで、子供の心を踏み荒らすのだ。

私は悩む。私が教会学校に傷つけられた、同じ事を娘に繰り返しているのではないかと。

そして期待する。彼女が父の実家に行っては仏壇に手を合わせること。
旅行先のタイで、祠を見つけては私と一緒に手を合わせたこと。
彼女の中で、彼女自身の信仰が考えられるよう期待する。

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コメント

 教会学校かー、懐かしいな。俺も小学生の時に行ってた。多分子供の頃、宗教との接し方で大切なことは、そのものを信じるというより「宗教を通して社会を相対化して見る」っていうことだと思う。キリスト教を通して見た、あるいは出会った社会はそれはそれで面白かったけどな。
 Fちゃんもキリスト教を信じるというより「社会への視野を広げる手段」の一つとして教会と接するといいと思う。

 うん、難しいね。教会学校の教師って神学を学んだ人じゃないことがほとんどだし。自分の信仰や知識の範囲でよかれと思ってやるんだと思う。
 カードの文言は、一クリスチャンとしては聖書に書いてある神やキリストの教えとして間違ってないと思う。「しゅうかいにでる」はキリストに繋がっていなさいということかなぁ。「つたえる」は信仰を強要するわけでないでしょ。お父さんに教会で知ったことを伝えてディスカッションするってのは別にいいと思うけど。信じている者にとっては聖書の教えに沿おうとする、のは自然なんじゃない?教会学校に通う子どもたちは大きくなってから反芻し学び自分で選び取っていくのでしょう。
 教会はキリスト教の伝道の場、信徒の信仰を支える場だから中立的態度を求めるのは無理だと私は思う。もちろん他宗教への敬意は持つべきだけど。中立公平な目は大事だけど、自分の根を持つのも大事だと思う。生きるのが楽。というと軽いけど、信じるものは自分だけという人が今は多くて、そんなに人は強く確かかなぁと思う。

私は小学生の頃、お寺のお泊まり会に行っていたよ。
お寺の掃除をすること、食事の前に手を合わせること。
朝夕2回、本堂でお経を読むこと、知らない子と遊ぶこと。
そのくらいしか記憶がないけど、私の宗教観は一部、そこで形づくられたのだろうなぁ。
子どもには本質を見抜く目があるから、大人の意図以上のものをつかんでいくと思うよ。
他宗派の家から嫁いだ母は何を思いながら送り迎えしてくれたかなぁ。

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