多宗教の融和
日経新聞より
『法王は12日のドイツ滞在中の講演で
「(ムハンマドが生み出したのは)邪悪と残酷だけではないか」などとした
14世紀のビザンチン帝国皇帝の言葉を引用。イスラム社会の反発を招いた。』
この後、イスラム社会では法王の人形や肖像を焼くなどの抗議運動、
政治的にも謝罪を求める決議が広がっている。
法王は「遺憾の意」を示しているが、事態収拾には至っていない。
カトリック尼僧が射殺されてすらいる。
前法王があんなに宗教の融和に力を尽くしたというのに。
イスラムのモスクに入った、初めての法王になったというのに。
今回の法王の講演全文を入手できていないので文脈がわからないが、
えてしてこういった発言は切り取られて広がる。当然のことだ。
法王の配慮が足りなかった。
私は、母方が牧師の家で。
父は「ん?よくわかんないけど南無阿弥陀仏だ」という人で。
同居人の家は熱心な浄土真宗のお家で。
宗教を無視できない環境に育ち、
結局私に一番身近な神さまは、
母方のプロテスタントの神、イエスキリストだ、とわかっている。
ただ、10代の頃から悩みに悩んで、
多くの宗教が存在するのは
「山に登る道はひとつではない」ということなのだ、
というひとつの考えに至った。
それらは全て反発せずに成り立つのだと。
その信仰が本当の救いをもたらすものであるならば。
私はそういった全ての信仰に、敬意を払う。
コメント
> 「山に登る道はひとつではない」ということなのだ、
> というひとつの考えに至った。
基本的に同じ考えです。
あとは、
・その「山」って何?
・どうやったら登りきれるの? → 誰が知ってんの?
ということだと思います。
現実にはこの問題(難題)を
・考えようとしない
・考えて登ろうとしたが道に迷ってしまった
・道を知っているが登るのが難しくて挫けてしまった
というのがほとんどだと思います。
自分としては、無理に自力で登らずとも上げてもらえれば良いと思うんですけどね。
なーんて、抽象的な話でわかりにくくてごめんなさい。
投稿者: なおさん | 2006年11月 3日 23:36