友人宅でごちそう

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友人が、「君が元気がないから」と
沢屋のジャムを送ってくれた。
大切で大好きな友人がいることを思い出す。
早速味見をしようと思うのに、涙ばかり出る。

私が見つけた金木犀は満開。
芙蓉の花がそこらじゅうで開いたり閉じたり。
夜涼しいので毛布を出す。
今日のカウンセリングにでかけて、
なんと言おう、責められる怒られる、いや違う見捨てられる、
そう思いながら、すくむ足を無理やりに進めた。
カウンセリングルームに入って最初に私が発した言葉は、
用意していなかった「ごめんなさい」だった。
「どうしてですか?」
「先週の水曜日、死のうとしました。」
「生きることと死ぬことと何が目標ですか?」と問われた。
ぐるぐると考えをめぐらせる。
「本当は、幸せに生きたいんです。でも・・・わからなくなってしまいました」
生きたいのか死にたいのか、
信じたいのか信じたくないのか、
好きなのか嫌いなのか、
大事なのか捨ててもいいのか、
なあんにもわからなくなってしまいました。
昨日友人の家を訪ねた。
近くのカフェで昼食とも早すぎる飲みともつかないゆるい時間を過ごして、
彼女の部屋でドキドキしながらワインを開けた。
(二人ともコルクを抜くのが苦手)
上手に開けられたことに拍手して、
チーズとりんごを切ってクラッカーを並べて、
たらたらと飲んだ。
「責めないのね」というと、
「責めないよ。わかるから」って言ってくれた。
涙があふれる。彼女を抱きしめてキスをした。
自分で自分を責めている私は苦しくて苦しくてどこにもいけない。
だから、責めずにただ共感してくれてありがとう。
たくさんの人にコメントやメッセージやメイルで、
怒られ、悲しみを訴えたれた。
生きろといわれた。
辛さをわかってくれた友人もいた。「明日を信じていいよ」と。
みんなごめんなさい。
私を愛してくれるみんなを裏切って死を選ぼうとする私を、
許さなくて、いいです。
わかっているの。本当は幸せに生きたいのだと。
それなのに、時に死が私を引き寄せる。
睡眠薬で死ねなかったあと、手首も切った。
裸眼(0.02)でバイクに乗って大通りを走った。
電信柱に激突するのは、渋滞の大通りでは難しかった。
それでも死なずに今生きている。
ねえ、どうして私は生きているの?
どうして死ねないの?
体は生きようとしているのだと、以前友人に言った。
どんなに死にたくても、心臓は脈打ち、息は止められない。
ごめんなさい。そしてありがとう。

死のうとしてみた。
愛している人を、最も信頼している他人を、
恐怖で塗りつぶされたから。
溜め込んでいた睡眠薬を、お酒と一緒に、つまみのようにして飲んだ。
数十錠はあっただろう。
死ぬなら、お母さんの声を聞きたいなあ、と思った。
話を聞いてもらって、うまくく誘導されて吐かされて、寝た。
3時間ほど夢も見ずに寝たら、目が醒めた。
死ねなかった。
日経新聞より
『法王は12日のドイツ滞在中の講演で
「(ムハンマドが生み出したのは)邪悪と残酷だけではないか」などとした
14世紀のビザンチン帝国皇帝の言葉を引用。イスラム社会の反発を招いた。』
この後、イスラム社会では法王の人形や肖像を焼くなどの抗議運動、
政治的にも謝罪を求める決議が広がっている。
法王は「遺憾の意」を示しているが、事態収拾には至っていない。
カトリック尼僧が射殺されてすらいる。
前法王があんなに宗教の融和に力を尽くしたというのに。
イスラムのモスクに入った、初めての法王になったというのに。
今回の法王の講演全文を入手できていないので文脈がわからないが、
えてしてこういった発言は切り取られて広がる。当然のことだ。
法王の配慮が足りなかった。
私は、母方が牧師の家で。
父は「ん?よくわかんないけど南無阿弥陀仏だ」という人で。
同居人の家は熱心な浄土真宗のお家で。
宗教を無視できない環境に育ち、
結局私に一番身近な神さまは、
母方のプロテスタントの神、イエスキリストだ、とわかっている。
ただ、10代の頃から悩みに悩んで、
多くの宗教が存在するのは
「山に登る道はひとつではない」ということなのだ、
というひとつの考えに至った。
それらは全て反発せずに成り立つのだと。
その信仰が本当の救いをもたらすものであるならば。
私はそういった全ての信仰に、敬意を払う。
物語が終わりを迎える。
私はいつも、終わらない物語が欲しい。
それでも終わってしまったこの物語について、
ひとつのまとまった文章を書こうと悩む。
「竹本君の成長物語」の視点から書くか。
一般に言われるように「純愛」?
「人間の生きる意味」
「何をして死までの時間を過ごすか」
どの視点かで自分の心の深くに降りていこうとする。
すると、少し降りたところでどうしようもなく胸が痛む。
何も書けずにいる。

素敵な紙袋を娘が買った。ガム200個分のお小遣いを前貸し。
オレンジと蝶々柄の、ちゃあんと使える紙袋。
見た目より頑丈。
先月個展へいって、そのあとお話して作っていただいた、特注の品。
母はインテリアとして大事に飾っておきたいのですが、
何せ娘のものなのでうるさくはいえない。
娘がこの子に命「チャッチャ」。女の子だそうです。
せっかくですから作家さんの宣伝を。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/mangetsu/somnambulism0.html

友人が辛い思いをしている。
私は、無力だ。
話を聞く。幸運を祈る。他に何ができる?
ただ伝えよう、あなたの苦しみは私の苦しみなのです。
あなたが幸せでいてくれることが、私の幸せです。
ああ。
自分の無力さに打ちのめされる。
今日友人になった女性がいる。
若くて、話のできる。
若さをそのままに持って、自分の感性でぶつかってくる、
予想通りの、人だった。
友人となれて嬉しい。
ともすると年寄りがちな私に、刺激をください。
ただただおかしなことばかりが
思考をかけめぐる。
誕生日おめでとうなんて嘘だ。
同居人が私と一緒にいてくれるのは、
しかたなく面倒を見ているだけだ。
近いうちに見捨てられる。
その前に、自分から姿を消そう。どこへ?
誰も私を知らないところへ。
誰も私のことなんて好きじゃない。
誰一人私がいなくなろうと哀しまない。
すぐ忘れ去られてしまう。それだけの私。
おかしいのはわかってる。
唯一安心できるのは、隣で眠る娘の手のぬくもり。
でもそれでさえ・・・
非常に遅ればせながらはじめました。
うわっ、映画だ、これは。
しかしわたしがRPGに求めるものは何よりもストーリー。
楽しみにしつつ、ゆっくりと物語を紐解く。

梅干の砂糖版ではありません。
信州という特殊な地方で作られる、梅漬け。
梅干とは異なるのです。
梅漬けには塩漬けと砂糖漬けがあり、
昨年実家近くに住む信州出身の方から砂糖漬けをいただいて以来、
大ファンとなりました。
それが、なんと今回、信州出身の先輩からおすそ分けをいただいたのです!
かりかり。しゃりしゃり。とまりません。
感謝感激雨あられとはこのことでしょう。


ナルニア国物語1「ライオンと魔女」を二回読んで消化した娘のために、
今は「カスピアン王子のつのぶえ」を読んでいる。
昨夜やっと小人トランプキンの話が終わり、
皆はカスピアン王子に会うべく移動を開始したのだった。
「今日はここまで、続きはまた明日」
そういって本を閉じる。
ある日は待ちかねたように眠りに落ち、またある日は「もっと!」と残念がる娘。
あらためて思う、こんなに胸躍る物語だっただろうか。
わくわくして、早く続きを読みたいのは私。

毎朝、その実を見ながら過ごしていたのに。
新しい部屋は空に近くて、なんだかすくめていた肩をひろげていいような。
地面と木と草から遠くて、どこか心もとないような。
生まれてから13回目の引越し、14番目の家。
