谷崎潤一郎「文章読本」

中公文庫/1975年初版


よいです。日本語の文章や言葉に興味のある方には一読を勧めます。

前書きは昭和9年に書かれており、65年前の内容なのですが、主張のほとんどが現在に通じます。

裏表紙には「正しく文学作品を鑑賞し、一行でも美しい文章を書こうと願うすべての人々の必読書」とあり、「正しく」という言葉にはうなずけないものの、文章の美しさをより深く味わうための必読書といえるでしょう。

読書の楽しみを知るにはある程度の訓練が必要です。これはスキーを楽しむためには最初の数日滑っては転んで辛い思いをしなければならないのと同じことです。
(といってスキーの例を出したのは私がこの最初の試練に耐えられず、もう二度とスキーはしないと決意しているためで、自転車に乗る例の方が適当でしょうね。)

この訓練が、谷崎潤一郎の言う「感覚を磨く」ということなのでしょう。

「感覚」について興味深い記述があります。

即ち感覚というものは、一定の練磨を経た後には、各人が同一の対象に対して同様に感じるように作られている

これは「名文」などといっても結局感覚的なものであって、人によって感じ方は違う。何が名文であるかは決められない。という意見に対する反論です。

人それぞれ感じ方が違うのはもちろんですし、それでいいのですが、感覚を磨くと、やはり世の中には優れたものとそうでないものがあることがわかってきます。 文章に対する感覚を磨いていない人というのは、たとえば100円ショップで買ってきたカップと、喫茶店で出されたロイヤルコペンハーゲンのカップが同じに感じられるようなものです。

文章への感覚を磨くと、面白い文章を面白いと思うことができます。感覚の鋭い人ほど、大きな楽しみを味わうことができます。同じ本を読んでも感覚の磨かれた人はより多くのものを得ることができます。

私が本から得るたくさんのものを思うとき、こんなにすばらしいものだからみんなも楽しめばいいのに、と思うのですが、やはり幼いうちのほうが文章に親しむ機会というのは多いようです。大人になってしまうと忙しかったりして、文章への感覚を磨くのは難しいようです。

もしかしたら、私が本を読んでいる時間に他の人はもっといいことをしているのかもしれませんけどね。 学校の国語の授業も、こういった感覚を磨くためにあるのだと思うと楽しくなるように思えるのですが。(99.3.21)


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