本を読んで思ったこと
短編集。一つ一つの物語が、柔らかく、やさしく。あまやかといったらよいのだろうか。 「ハネムーン」とトーンが似ているように感じる。起こるべき出来事はもう全て起こってしまっているようなお話。出来事から一歩身をひいて、ぼんやりと傍観するような立場で、ああ思ったりこう思ったりしている。そう、そうゆう立場からしか感じられないこと、わからないことはたくさんあるでしょう。でも、私はもどかしい。私はもっと、世の中のめくるめく出来事の渦に飛び込んでぶつかって傷ついてしまいたい。疲れてしまいたくはない。
だから、この物語達は休息用に。「田所さん」が好きです。(12.11.26)
ブエノスアイレスを舞台にした7編の短編集。 「小さな闇」が印象深い。人が皆それぞれ抱える小さな闇。自分で自分の闇に気づかないままの、または忘れてしまっている人もいるけれど、皆が必ず抱えている闇をおもう。
2編収められているうちの後編、「ハードラック」に、脳死状態の姉にみかんのようなものをかがせるようにすると、姉が起きあがって「いい匂い!」という幻が浮かぶ場面がある。それは決して姉の意識がよみがえったのではなく、そのみかんのようなものがみせた光景だという。そういう場面。この場面を思い出して私は気づいた。
そうか、世界が悲しい事だらけだなんてもう皆十分に判っているんだ。姉が脳死状態になったり、母が体じゅうに癌をかかえて死んでいったり、友人に言ったことが伝わらなかったり、大好きな人を悲しませたり、裏切ったり。悲しいことだらけで、それが普通で、だから、しあわせが輝く。世界はなんていいところなんだろうと言えるんだ。(99.11.28)
帯の文句が素敵。「世界が私たちに恋をした」。表紙が素敵。カバー表紙と中の表紙と、2種類あります。いとおしくて、撫でさすりたくなる装丁です。
物語はすべてすでに起こっていて、すでに起こっている物語に感情が後をついてゆっくりと起こり、描写されている、そんな気がします。感情の流れを一つ一つ、ゆっくりと確認して、書きとめている感覚。言葉の一つ一つがいとおしまれている。
わかってることだけど、私たちは生活の中でもがいて、感情を揺らして、人生を経ている。これはそれをちょっと離れたところで見させる物語。ともすると私は、目の前のものしか見えなくて、何か息苦しくて、何も見たくなくなってしまうから、そんなときこの本を読もうと思う。
食べ物がたくさん出てきます。釜揚げうどんに始まって、ペンネアラビアータ、たき火で焼いたじゃがいもなどなど。「キッチン」でみかげがもって走ったかつ丼を思い出しました。ピーチジュースも出てきて、私は夜中なのにコンビニまで歩いて買いに行き、飲みながら読みました。(98.1.13)
エッセーです。短いエッセー集で一編一編に原マスミのイラスト付き。紙質もよくてなんか贅沢。一番印象に残ったのものは、「タイムマシンにお願い」です。ばななが藤子F先生と会って思ったことの話で、「..ということは、今の私にエールを送っている未来の私がきっと存在するということで、何やら頼もしい話ではありませんか。」と結ばれます。
いまこんなに悪戦苦闘している私にも、未来の私はがんばれ、あと少しだから。何とかなって今はこうゆう風に生きているから、と言ってくれているかもしれません。(98.6.16)
予知能力をもったおばあちゃんの遺言は家の後を継がないこと、絵を描くことおまえはハチの最後の恋人になるだろう、ということでした。彼女は遺言どおりハチの恋人になり、そしてハチと別れます。ハチといた間に絵も描き初めます。彼女の絵の一枚を見たアレッサンドロ・ジョバンニ・ジェレビーニは「これはいい、おお、これは泣かせるよ、すばらしいね、うん、君には才能がある。確かに感じられる。ここには、なにかここにしかないものがある。これはいい。」といいます。そのときの空気を、全部一瞬で焼きつけるような気持ちで、ベージュの紙に濃い茶色のカラーインクですばやく描いた、絵。(99.2.24)
エジプト旅行の話。男二人女一人、途中でトモコを加えてエジプトをナイルの奥からたどるお話です。友人の一人には最近HIVに感染していることが分かっていて、急に近づいた死の存在が,旅全体の通奏低音になっています。
ここで描写されるエジプトは、神がすぐその辺にいる感じ。直接ぶち当たってくる感じ。とても単純で、大胆なところです。(98.6.16)
原マスミさんのイラストがたくさん入った、まるで絵本のような小編。「好きなもの」「愛しているもの」「だいじなもの」を想う夜。想いすぎて苦しくなる、壊して、壊れてしまいそうなそんな雰囲気。(97.9.9)
バリに行きたくなります。インドネシアのジャワ島の方には少しだけ行ったことがあります。そこも、エネルギーがあふれていて、人が元気で騒がしくて、熱くて、いろんなものがありました。仏教遺跡のボロブドウールとヒンドウー教遺跡のプランバナンに圧倒されて、私が遺跡や仏閣、仏像や神像に興味を持ったのはこのときからでした。(99.2.24)
死・不思議な力・幸せ・人と人との関わり・愛情といったテーマが絡み合っている。
"あのね、実際生きてるとわかんなくなっちゃうけど、楽屋にいるとよく見えるの。空が青いのも、指が5本あるのも、お父さんやお母さんがいたり、道端の知らない人と挨拶したり、それはおいしい水をごくごく飲むようなものなの。毎日、飲まないと生きていけないの。何もかもが、そうなの。飲まないと、そこにあるのに飲まないなんて、喉が渇いてしまいには死んでしまうようなことなの。”
短編集。「新婚さん」「とかげ」「らせん」「キムチの夢」「血と水」「大川端奇譚」の6編。全部ほんとうに短い話で、ふわっとしたなにかつかまえにくいこと。私はこの本を手に取るたんびに、それがどんな話だか忘れていることに気づく。読み始めて、ああそうだ、こうゆう話だった、とおもってもまたすぐ忘れている。何回も新鮮な気持ちで読めていいかもしれない。でも、どんな話だか忘れてしまうのは、この短編がその物語性に重点をおいていないせい。そこに描かれたある空気が大切なせいだとおもう。(99.2.24.)
短編集。「白河夜船」「夜と夜の旅人」「ある体験」の三作。私は「白河夜船」が一番好きです。後の二作は胸に鋭く刺さって、辛い。「白河夜船」の寺子は「寝ようとおもえばすぐ寝られる」のが特技ですが、私は寝つきの悪さに自信があります。(99.2.24)
翠が好き。痛いくらいに好き。「妊娠」というと彼女のことばかり頭に浮かぶ。元気で、幸せでいてほしいと、女としてそう思う。主人公は加納風美というのだけど、彼女が小さいとき、家庭の辛さに感応して声が出なくなるというエピソードがある。声が出ないことで、言葉にしてしまうとどうしてもこぼれてしまうものをみることができていたといった。わかるとおもう。言葉にしようとすると、どうしてもすり抜けてしまうもの。私の言葉がつたないせいも、もちろんあるのだけれど、どんなにたくみでも。ばななの小説は言葉ですべてを描こうというのではなくて、あいまいな、雰囲気を示す言葉を使って、言葉の表せないものの存在を感じさせているように思う。(97.8.12)
文庫にもなってるけど、ハードカバーのほうを見てほしい。装丁が素敵。南国調(?)の花と鳥のイラストで。何度か読んだはずなのだけど、つぐみのキャラクター以外を思い出せない。(97.7.28)
「家族」に焦点を当てているあたりに「アムリタ」との関連を感じるかも。幼少のとき両親を事故でなくし、他の家族に引き取られながら、その記憶を失ってそだっていた弥生のお話。19になった弥生がなぜか、気づいてしまい、思い出してしまったおはなし。 読み終わると、このあと弥生と哲生はどうなるのだろうと、真剣に思い、考えさせられる。(97.7.28)
おもい悲しみを抱えた人たちの、悲しみの開放のお話だと思います。何かが起きて、かなしみから逃げられなくて、ただつかりつづけるようなかんじになること、あるような気がする。
生活しなきゃいけないから、学校いったり仕事いったり、ご飯食べたり、するけど、かなしみは消えなくて。
わたしが、今までで一番、かなしかったことは何だろう。幸いにして、今も立ち直れていないようなかなしみは経験したことがないようです。悔しかったこと、傷ついたことはたくさんあっても。「サンクチュアリ」にあるように、愛してる人、大切にしている人、伴侶が死によって消えることは、想像だけど、かなしい。私の言葉ではえがけないほどに。
かなしみを抱えて、でもそれに押しつぶされずに生きている人は、どこか、とてもきれいだとおもいます。(97.12.8)
表題の「キッチン」のほかにキッチンの続きの「満月」と、「ムーンライト・シャドウ」が入っています。
わたしは「キッチン」よりも「満月」のほうが読みごたえがあって好き。とくに、みかげが雄一のもとにかつ丼をもって走るのがいい。
すっごくおいしいものをたべたとき、「あいつに食べさせたい」とおもうことって、誰かをそういう風に思えることって、深い愛情だと思う。(97.7.28)